介護ではたらくみんなを応援! コウベ de カイゴ

子育てとの両立に、
生活の安定も。
子どもにいい影響も、
与えることができた。
ニチイケアセンター三宮
介護福祉士 / 訪問介護管理者
多田 愛弓さん(40代)

10年前とちがって、
今はもっと子育てと仕事を
両立させやすい環境。

もともとは営業職をしていましたが会社の経営体制が大きく変わる出来事があり、安定した職業に転職したいという気持ちが強くなりました。友だちや姉が介護業界で働いていたこともあって、介護の仕事に対してあまり抵抗がなく、デイサービスだったら資格がなくても働けると知っていたのも、介護職を選んだ理由のひとつです。最初はパートでデイサービスの介護職員として働き、営業職と掛け持ちをしていました。働きながら介護福祉士やケアマネージャーの資格をとってからは、介護の仕事に専念するようになって、今に至ります。

介護業界に入ったのは、下の子が小学校に入るぐらいのときでした。そのころの介護業界は、家庭の事情があってもなかなか帰ることはできず、周りに頼る人がいなかったので、3人の子どもたちには無理をさせました。今は私が職員の休みを管理する立場になったので、自分の経験をふまえて、職員にはもっとよくしてあげたいなと思っています。利用者さんも理解のある方が多いので、「今日は休んでもらっていいよ」って言ってくださいます。今は、職員自身やお子さんの体調が急に悪くなっても休みは取れますし、有給休暇を取ることもできるので、大きく改善されています。

障害がある人への
理解が深まった
ひとりの利用者との交流。

介護の仕事をしてきて、いちばん印象に残っているのは、今の事業所に入る前に仕事をしていた訪問入浴で出会った利用者さんです。脳性麻痺の若い女性で、身体は目と指先しか動かせなかったのですが、なぜかお母様とは意志の疎通がしっかりできていました。ある時、指先で小さなボタンの数字を押しているのに気づいて、私がポケベル世代だったこともあり、たとえば「あ」だったら「1」「1」というように数字で会話をしていることがわかりました。
障害がある方でも、それぞれの方のお考えやコミュニケーションの方法があると、習っていたし、聞いていましたが…。それまでは脳性麻痺の方と意思の疎通をとったことがなかったので、本当に何を考えているかはわかりませんでした。デイサービスで来てくれる男性のスタッフがカッコイイとか、今日こんなことがあったとか、好きなアイドルやドラマなど、たくさん話をして他の女の子と同じなのだと知りました。話を聞くだけでなく、時には私が悩みを相談することもあり、すごく印象に残っています。利用者さんも、自分たちと同じ感情や思考を持っているのだと身をもって知りました。

母の背中を
見て育った娘は、
医療の道へ。

私が介護の仕事をしていることがきっかけだと思うのですが、娘が医療の専門学校に行くようになりました。基本的に家で仕事の愚痴は言わないようにしているので、自然と同じような道に進むことになったんだと思います。
もともと娘は看護師か、放射線技師、どちらをめざすか悩んでいたのですが、私は「絶対にこっちがいい」ではなく、「どちらも、いいんじゃないの」としか言いませんでした。それは、どんな仕事でも何歳からでもできるから、気になることをやってもらいたいという気持ちと、自分自身も介護業界に転職して、ずっと続けてこられているからです。子どもたちへの影響でいうと、お年寄りに優しくできるように育ちました。電車内とか買い物帰りに「大変そうにしている人を見たから、荷物を持ってあげた」ということを聞くことがたまにあるのですが、そんな時はとてもうれしいですし、介護の仕事をしてきて良かったことのひとつです。
今はまだ将来のことを考えていませんが、ずっと介護職をしているんだろうなと思っています。これからは、働きやすい環境づくりや介護のいいイメージを伝える側になりたいです。

PROFILE

多田 愛弓さん(40代)介護福祉士 / 訪問介護管理者
介護業界に転職後、デイサービスや訪問入浴を経て、現在の事業所へ。訪問介護サービスの管理者として、相談業務やマネジメントなどに携わる。
ニチイケアセンター三宮<中央区>
訪問介護・居宅介護支援のサービス事業所。グループは全国47都道府県約1,800ヵ所の拠点があり、在宅系介護・居住系介護サービスまでニーズに合わせた「トータル介護サービス」を提供。